hexe:
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(via highlandvalley)
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(via highlandvalley)
文が分かりにくくなる4大原因驚くほど違う→あなたの文章を最適化するたった4つのルール 読書猿Classic: between / beyond readers (via ginzuna)
1.一つの文に多くの情報が詰め込まれている
2.情報を与える順番がおかしい
3.どの語がどの語を修飾しているか不明確である
3-1.ある語が修飾している相手の語を見つけにくい
3-2.ひとつの語が複数の語を修飾しているようにみえる
4.言葉のまとまりが捕らえにくい
分かりやすくする4つの最適化ルール
1.一つの文が伝える情報量を減らす
(そのために)
(1)不必要な情報を削る
(2)文章を二つ以上に分割する
2.文章の主題となる部分を前に出す
3.語と語の修飾関係を明確にする
(そのために)
(1)語順を変える
(1-a)長い修飾語は前に,短い修飾語は後に
(1-b)意図せぬ修飾関係が生まれないように配列する
(2)句点をうって区切る
(2-a)短い修飾語を先にする場合は,その直後に句点をうつ
(2-b)長い修飾語の後に,長めの表現が続くときは,長めの表現の直後に句点をうつ
(2-c)修飾関係を切りたいときにも,句点をうつ
4.漢字とかなを組み合わせて,漢字やかなの連続を避ける
※4つの最適化ルールの使い方(メタ・ルール)
「わかりやすくする4つのルール」は,より上にあるルールを優先して適用する。
まず文に含まれる情報を減らし(1.),
それでも分かりにくければ情報を与える順番を変え(2.),
それでも分かりにくければ修飾関係が明確にする処置を行い(3.),
それでも分かりにくければ,言葉のまとまりを修正する(4.)。
(via l9g)
この自伝がすごい/よく生きるためのリベラルアーツ書10冊 読書猿Classic: between / beyond readers (via plasticdreams)レヴィ・ストロース『悲しき熱帯』
人が現在の到達点を確認し他の人に示しそうとする時に、旅について/旅として語る流儀は古い。
旅行記が、真実の相において訪れた土地や人を語るものでなく、それらの見聞(時に嘘ばなし)を通して著者自身を語るものである以上、これもまた我々の定義において自伝である。
ソクラテスの弟子の一人であるクセノフォンが、1万人のギリシア人傭兵ともに自ら従軍したペルシア王位戦争の敗戦からギリシア兵をまとめて長途の退却戦を経て帰国するまでをつづった『アナバシス』、カエサルの『ガリア戦記』(前50年ごろ)、ビラルドゥアンの『コンスタンティノープル征服』(13世紀初め執筆,出版は1585年),1248年からルイ9世に従って第7回十字軍に加わった J. de ジョアンビルの回想録(1309)、辻政信『潜行三千里』(1950)などはいずれも戦争という旅をめぐる回顧の記録である。ギリシア人パウサニアスの『ギリシア案内記』やマルコ・ポーロが,20余年の旅を終えて1295年にベネチアに戻った後口述した『世界の記述(東方見聞録)』、アンダルス生れのイブン・ジュバイルの旅行記や、モロッコ生れで、チュニジアとモルジブでは裁判官を務め、インドでは中国使節に任命され,エジプトでは2回結婚しモルジブでは4人の妻をめとったイブン・バットゥータの『都市の不思議と旅の驚異を見る者への贈物』、アッバース朝カリフが921年にボルガ地方へ派遣した使節団の一人イブン・ファドラーンの『旅行報告書』、玄奘の『大唐西域記』や文人たちがほとんど触れなかった地形,地質,水文,生物などの記述に富む徐宏祖『徐霞客遊記』など、取り上げるべき旅行記は多い。
近くは、エリアス・カネッティ『マラケシュの声―ある旅のあとの断想』、チェ・ゲバラ『モーターサイクル・ダイアリーズ』やブルース・チャトウィン『パタゴニア』、金子光晴『マレー蘭印紀行』、沢木耕太郎『深夜特急』なども取り上げるべきかも知れない。
けれども、ここではもう一つの旅を思い、人類学者のものを取り上げなくてはならない。
ヒトは、その長い歴史の大半を旅に費やしてきた。
大河流域に集落定住するまでの間、移動的採集狩猟民であった頃、北極圏や北米西部で定住生活と移動生活を季節的に交代させる半移動民であった頃、良質の石器材料や装飾品の交易のために方方の集落をめぐった頃、成人式の一部をなす配偶者を探し出す旅行儀礼に出かけた頃、旅は生活の大半であり、欠くべからぬものだった。
集落定住の生活が一般化し、やがて都市の形成されるようになっても、特殊な技能を担う職人として、騎士として、商人として、のちには放浪学生として、ヒトは旅を続けた。
職人の遍歴の旅は、本来は親方株が少なかったためにやむなく行われた慣行だったが、各地の職人が偏歴することで、技術水準は平均化し、共同体を超えた広域世界が統一的な文化を抱く礎となった。
学生たちもまた、知を教師を求めて放浪の旅をしており、歌を唱っては布施をもらい旅を続けた。放浪学生の多くは自堕落な暮しを送り,酒と女にあけくれたが、その中でギリシア語,ラテン語,ヘブライ語などを中心とする学問を身につけていった者もいた。ブレスラウのような町にはかなりの数の学生を収容できる学寮もあったし,病気の学生を治療する病院まであった。中世の都市はいわば、旅する人々の仮の宿りとして存在していた。
民族学(ethnology)が独立の科学として成立したのは19世紀半ばであるが,大航海時代以来,世界の諸民族についての知識がヨーロッパにおいて蓄積されたことが,基本的な条件になっている。エスノグラフィーはいつも、ヒトが自身が暮らす世界を抜け出て行われた旅の産物に他ならなかった。
レヴィ・ストロースは、自身の旅のはじまりについて、哲学を捨てやがて民族学へ赴く(これもまた一つの旅だ)ことになった理由のひとつを自分の資質に求めて言う。
一定の土地をじょうずに耕作しておき、年ごとにそこから収穫を得るような資質が私には欠けていた。私の知性は新石器時代の人間の知性なのである。インディアンが耕地にするために草原を焼く火のように、私の知性は、ときに未墾の土地を焼くのである。それは、土壌を肥沃にし、そこから大急ぎでなにがしかのとりいれをするのにはおそらく役立つであろう。そしてその後に、荒廃した土地を残すのである。
こうしたヒトは旅を続けるほかない。
(via plasticdreams)